僕の学生時代には、家族団欒という言葉とは無縁の生活がありました。
幼少期から祖母に愛されず、物心ついた時には両親は頻繁に喧嘩、(僕が高校に入るタイミングで両親は離婚)原因はいつも父にありました。不倫をしたり、生活費を母に渡さなかったり、取っ組み合いの喧嘩が日常茶飯事でした。外食や旅行も、幼い頃を除いて一切ありませんでした。
僕は、人の気持ちを思いやって行動することが苦手でした。先生に叱られたり、友達に縁を切られたり。その背景には、家庭の不仲、特に父親からまともな教育を受けてこなかったことがあると思います。
母からは「こうしちゃダメ」「これは良いこと」と教わってきましたが、父は僕に無関心でした。
幼稚園の頃、公園に兄と置き去りにされたままパチンコに行かれたり、寝られないからという理由で「風呂に入るな」と言われたり、親戚からもらったお年玉を奪われたこともあります。
家族で外食や旅行に行くこともなく、他の家庭の話を聞いては羨ましいと感じていました。
友達の父親が子どもを車に乗せて海に連れて行ったり、遊園地に行ったりする――そんな普通が、僕にはありませんでした。
その影響か、僕も無意識に父を真似していたのかもしれません。人との関わり方が分からず、友達の作り方も知らなかった。授業で「○人組を作ってください」と言われるたびに辛かった。「お前とは組みたくない」と言われ、傷ついたこともあります。
障害を抱えて生まれ、教育も受けられず、社会から煙たがられる――そんな人生を、僕は恨んだこともあります。
でも、あるとき気づいたんです。
「僕はもう大人だ。親や障害のせいにして、何も行動しないのは自分の責任だ」と。
そう思ってから、気持ちが少し楽になりました。どうせ頑張っても、ミスをするし、人に迷惑をかけるかもしれない。
でも、それでも良いじゃないか。
不完全な自分を認めて、許してあげて、そのうえで「自分なり」に頑張ればいいんじゃないかと。
そうして働き始めたコンビニで、僕はお客様から感謝されるようになりました。
「ありがとう」と言われるようになった。
あのとき感じた喜びは、家族からもらったことのない、特別なものだったと思います。
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